#2の続きです。
最近、ピダハンというアマゾンに住む民族を知りました。そこでの生活はお金が要らないからお金がない事に対する不安や困るという事は無い様なんです。しかも笑顔でいる事が多いみたいで、だからお金って無い方がいいのかもしれないと思いながらも、ここでの生活にはお金が必要なので引続き読んでいます。お金の整理学です。
定年後の人生が退屈に見えるのは、失敗という危険を伴う<実験>を避けているからではないだろうか。
競馬や競輪といったギャンブルを推奨しているわけではない。サラリーマン時代にやったことのない新しい仕事を自分でつくってみるのも実験だし、稼げる趣味を見つけようとするのも同様だ。うまくいかないかもしれないが、何もしないよりは、はるかに面白い。
何もしないで詰まらない暇だと言っている人を見たことがあります。「あれがしたいけど面倒くさい」を頭の中で繰り返している人です。何かしら考えはあるんだけど、先の事をゴニョゴニョ考えちゃってるんだと思います。行く末を案じて一歩が出なくて結果することがなくて詰まらなくて暇だっていう循環ですね。でもここで何かをお願いすると、それをする時間はないとか返ってきたりするんですよね。
地方に行けば遊んでいる土地や空き地になっている家屋はたくさんある。慎重に選べば、初期投資はそんなに大きくなくて済む。
自給自足の生活を営む程度のものであったとしても、経済的・精神的に自立した個人になれるのだから大きな意味がある。
これには興味があります。田舎暮らしは生活費が安い以外に魅力は感じていませんでした。でも精神的にとてもいいなと思ったりします。街は動きやすく何でも手に入る感じがして一見良さそうですが、人が沢山いて電車の混雑や渋滞がありますし、それ本当に必要なのかという物で溢れています。今も見れば欲しくなったりしますが、前ほどの強い物欲ではなくなりました。田舎暮らしもいいかもしれません。作物を育てるのは苦手なので、海と山があって釣りと食糧採集ができる所がいいです。
ただ、こちらに居るとあちら、あちらに居るとこちらが良く見えたりするんですよね。田舎がいいなと思って引っ越したら街がよく見えたり、じゃあと思って田舎から街に引っ越したら田舎はよかったな〜みたいな感じです。まあ今は田舎とかいいな〜などと思っています。
高等教育じゃなくても自分の頭で考えて何かを成すことはできるし、知識を得てそれが役立つこともある、意外なところに儲かるチャンスがあるかもしれない、趣味だってお金になるかもしれない、失敗に見えてた経験もこの時の為のものだったんだと思うかもしれません。この先どんな人生にするかはその人の考え次第でどうにでもなるんだと思います。大きく稼がなくても生きる術はあるみたいだし、あまり不安になることはないのかもしれません。
答えは一つじゃないみたいだし、誰かの考えに賛同してもいいし、独自の考えで動いてもいいし、何かやってみて違うと思えばやめてもいいし、何かいろいろやってみればいいんだと思います。
参考記事
楽しく生きて果てる。
では〜。